山形県山形市長谷堂の主水塚

以下、碑文を記された文章
「このあたり一帯は、古くは朴ノ木屋敷と呼ばれ、長谷堂合戦のときに最激戦が展開された地である。慶長五年(一,六〇〇年)九月、米沢より進行してきた直江軍と、それを迎え撃つために長谷堂城より出撃した志村勢が死闘をくりひろげ、不摂生の剣豪と称された直江の武将上泉主水泰綱が壮烈な討死を遂げたところでもある。
 合戦後、村人たちが主水をはじめ両軍の戦死者約二百余人を手厚く埋葬し、その土墳を主水塚と名付けて、連綿と供養を続けてきた跡である。」

主水塚には現在でもお花が供えられておりました
連綿と供養を続けられてきた方々に頭が下がる思いでした
謹んで手を合わせ読経いたしました

直江兼続本陣趾

主水塚の近くの山には直江兼続本陣趾

本陣趾から眺める長谷堂城趾
主水塚は、本陣趾と長谷堂城趾の間の田園の中に


地元の方々が歴史を大切にされていると感じました

合掌

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